「国道246号の原点」矢倉沢往還の真実|大山街道との違いと史跡
東京都心の赤坂から渋谷、三軒茶屋を抜け、神奈川県の厚木や足柄を経て静岡県沼津へと続く大動脈「国道246号」。日夜夥しい数の自動車が行き交うこの幹線道路の足元に、江戸時代初期から受け継がれた主要脇街道「矢倉沢往還」が眠っている事実を意識する人は決して多くありません。
一般には「大山街道」の愛称で広く知られる古道ですが、歴史公文書や当時の交通記録を紐解くと、江戸幕府が整備した軍事・物流幹線としての「矢倉沢往還」と、庶民の信仰や観光熱から生まれた「大山道」には明確な機能的断絶が存在します。2026年現在、再開発が進む首都圏の街角に残る石造物や宿場町の遺構を手がかりに、現場の取材検証を交えてその歴史的真実と古道散策の醍醐味を解き明かします。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:矢倉沢往還は東海道の箱根越えを迂回する軍事連絡路・物資輸送路として幕府直轄で整備された、現代の国道246号の直接のルーツである。
- 要点2:幕府公式の脇往還名である「矢倉沢往還」に対し、「大山街道」は江戸中期に爆発的流行を見せた庶民の「大山詣り」に伴う民間通称という決定的な違いがある。
- 要点3:赤坂御門から溝口宿、厚木宿を経て矢倉沢関所跡に至る全長約70キロのルートには、2026年の都市空間路地裏に今なお多くの道標や歴史的遺構が現存している。
【歴史の真相】なぜ矢倉沢往還は整備されたのか?国道246号の原点に迫る
矢倉沢往還の起源は、徳川家康が江戸に入府した天正18(1590)年以降に遡ります。関ヶ原の戦いを経て江戸幕府を開いた家康は、五街道(東海道・中山道・甲州街道・日光街道・奥州街道)の整備にいち早く着手しましたが、同時に重大視したのが東海道の有事に対する軍事的バックアップ機能でした。
東海道が酒匂川の氾濫や箱根の山険によって寸断された際、江戸城と東海・駿河地域を直結する迂回路として位置づけられたのが矢倉沢往還です。江戸城の「赤坂御門」を出発点とし、相模国を縦断して足柄峠の手前にある「矢倉沢関所」(現・神奈川県南足柄市)を越え、駿河国沼津宿で東海道と合流するルートは、まさに軍事防衛ラインそのものでした。
平和が定着した江戸中期以降、この街道は軍道から一大経済動脈へと性格を変貌させます。相模や駿河で生産された茶、タバコ、鮎、木炭、絹糸などの特産物が江戸へ運ばれ、江戸からは日用品や肥料(干鰯など)が地方へと送られました。この物流ルートの線形が明治以降の「青山街道」を経て、現在の「国道246号」へとほぼそのままトレースされていった歴史的背景があります。

大山道との決定的な違いとは?混同されがちな呼称の境界線を解き明かす
歴史愛好家や散策者の間で頻繁に議論を呼ぶのが、「矢倉沢往還」と「大山街道(大山道)」は何が違うのかという問題です。結論から述べると、両者は「公文書上の街道定義」と「大衆の信仰・目的地による通称」という位相の違いによって区別されます。
幕府道中奉行の管轄下にあった公道名としての矢倉沢往還は、江戸と駿河を結ぶ一本の道です。一方で「大山道」とは、相模国の大山(雨降山大山寺・阿夫利神社)へ向かう参詣道全体の総称でした。当時、関東一円から大山へ向かうルートは「八王子通り大山道」「柏尾通り大山道」「府中通り大山道」など無数に存在し、赤坂御門から大山方面へ向かう矢倉沢往還の区間も、民衆側からは「青山通り大山道(大山街道)」と呼ばれていたに過ぎません。
| 比較項目 | 矢倉沢往還(公道・官道) | 大山街道 / 大山道(民衆信仰道) | 現代における評価・分析 |
|---|---|---|---|
| 管轄と法的性格 | 幕府道中奉行および勘定奉行直轄の脇往還 | 民間・寺社参詣客による自然発生的呼称 | 公文書上の正称と民俗的俗称の二重構造を示す典型例 |
| 始点および終点 | 赤坂御門(江戸)〜沼津宿(駿河・約70km) | 関東各地の起点〜相模大山山頂(阿夫利神社) | 矢倉沢往還は大山を通過点とし、さらに足柄・静岡へと抜ける |
| 主要な通行目的 | 軍事通信、公用使者、特産物(茶・絹)の物流 | 大山詣り(雨乞い・五穀豊穣祈願)、物見遊山 | 中・後期は参詣客の消費活動が沿道宿場町を大いに潤した |
| 関所と通行規制 | 矢倉沢関所(相模・駿河国境)による厳格な警備 | 大山山麓の手前までは関所手形が不要な区間多数 | 手形なしで歩ける手軽さが江戸庶民の大山熱を加速させた要因 |
【大山詣りの真相】信仰と娯楽が交錯した江戸庶民の熱狂と経済圏
宝暦年間(1750年代)から文化・文政期にかけて、江戸の町衆を中心に爆発的な流行となったのが「大山詣り」です。落語の演目『大山詣り』でも描写される通り、当時の人口100万人と言われた江戸から、毎年数十万人規模の参詣者が矢倉沢往還へと押し寄せました。
大山は古くから農業の神「雨降山(あめふりやま)」として崇敬を集めていましたが、庶民を惹きつけた実態は信仰の皮を被った「公認のレジャー旅行」でした。江戸幕府は庶民の移動を厳しく制限していましたが、寺社参詣の名目であれば比較的容易に通行許可が得られたためです。
職人や商人たちは地域ごとに「大山講(こう)」という互助組織を結成し、積立金をもとに代表者を毎年くじ引きで選んで派遣しました。道中では巨大な木刀を背負って歩き、これを山頂に奉納して厄を払う習わしが存在しました。大山参詣を終えた旅人たちはそのまま東海道の江の島や鎌倉へと足を伸ばし、精進落としと称して歓楽街で豪遊するルートが定番化。この巨大な人の流れが、沿道の農村を一気に商業都市へと変貌させていったのです。

宿場町の歴史と現在|赤坂御門から溝口・厚木、矢倉沢関所跡までの遺構探訪
矢倉沢往還の宿場町は、東海道のような本陣・脇本陣が画一的に並ぶ官製宿場とは異なり、物資の中継河岸や参詣客向けの宿が混在する極めて活気ある町並みを形成していました。
赤坂御門から大山まで|都心に残る街道分岐点
起点となる赤坂御門(現・赤坂見附駅付近)を出た往還は、青山六軒町を経て渋谷、三軒茶屋へと至ります。三軒茶屋の三叉路には、現在も「左 相州通 大山道/右 世田谷通 登戸道」と深く刻まれた文政年間の道標が保護されており、渋谷方面からの旅人が歩みを止めて進路を確認した情景を現代に留めています。
溝口宿の遺構|二子の渡しと多摩川越えの拠点
二子の渡しで多摩川を越えた先にあるのが、武蔵国橘樹郡に位置した「溝口宿」(神奈川県川崎市高津区)です。ここは幕府公認の継立村として人馬の手配を行う要衝でした。現在の宿町通りを歩くと、江戸時代後期の創業で往還沿いに店を構え続けた薬種商「灰吹屋」が現存するほか、国登録有形文化財「二子宿宗田家旧宅」や名主を務めた上田家ゆかりの長屋門など、往時の繁栄を伝える重厚な建造物が点在しています。
厚木宿の経緯|相模川舟運と結節した大商業ハブ
相模川を渡った相模国愛甲郡の「厚木宿」(神奈川県厚木市)は、矢倉沢往還随一の経済規模を誇った宿場です。相模川の舟運を利用して江戸へ薪炭や鮎、農作物を送る河港都市として機能し、「小江戸」と呼ばれるほど旅籠屋や商人宿が林立しました。渡船場跡の石碑周辺から旧街道筋に入ると、碁盤目状に区切られた地割りに当時の宿場機能の痕跡を読み取ることができます。
矢倉沢関所跡|東海道を監視した足柄山麓の要塞
伊勢原で大山への登山口を分けた本道は、秦野盆地を西進して足柄上郡南足柄市の「矢倉沢関所跡」へと到達します。小田原藩が管轄したこの関所は、東海道の箱根関所を避けて西国へ抜けようとする旅人や「入り鉄砲に出女」を厳重に詮索しました。現在は石垣の一部と案内板が静まり返った山あいに佇むのみですが、ここを越えれば駿河国という国境の緊張感が今も漂っています。
【2026年最新ウォーキングマップ】古道散策見どころ詳細まとめと現場検証
都市開発が急速に進んだ首都圏において、古の街道を歩くことは決して容易ではありません。しかし、2026年現在のウォーキング事情を検証すると、国道246号の拡幅・立体交差化によって旧道部分が歩行者専用道路や静かな裏通りとして保全され、かえって安全に散策できる環境が整いつつあります。
歴史の息吹を色濃く体感できる、推奨のウォーキング区間とチェックポイントは以下の通りです。
- 区間1【三軒茶屋〜二子玉川(約6.5km/所要約2時間)】:旧玉川電気鉄道(玉電)の軌道敷と重なるルート。用賀神社付近には旧街道特有の緩やかなカーブと庚申塔群が連続して現れます。
- 区間2【二子新地〜溝の口(約2.5km/所要約50分):多摩川の堤防を降りて溝口宿へ至るフラットなコース。歴史的建造物や地元有志が設置した案内板が最も充実しており、初心者には最適な散策エリアです。
- 区間3【宮前平〜荏田宿(約5.0km/所要約1.5時間):多摩丘陵を越える起伏に富んだルート。宿場の面影を残す荏田宿常夜灯や、大山へ向かう旅人が喉を潤した古井戸跡の石造物が確認できます。
- 区間4【本厚木〜伊勢原(約8.0km/所要約2.5時間):相模平野を大山に向かって一直線に進む参詣路本来の景観。天候が良い日には徐々に迫り来る大山(雨降山)の山容を正面に捉えながら歩行可能です。

【実態検証とプロの分析】古道歩きが照らし出す都市構造と街の変遷
フィールドワーク調査を通じて現代の矢倉沢往還ルートを歩くと、東急田園都市線や小田急線の駅前再開発地域からわずか数十メートル逸れた路地に、突如として文政年間や安政年間の石碑が現れる落差に驚かされます。
都市社会学および景観論の観点から分析すると、矢倉沢往還の軌跡は「台地の稜線に沿って水害を避けながら引かれた合理的インフラ」であったことが分かります。泥濘化しやすい低地を避け、微高地を縫うように選ばれたルートは、現代の都市計画においても極めて強固な地盤として機能しています。古道散策は単なる歴史趣味にとどまらず、私たちが暮らす都市の防災構造や地形的宿命を再認識する格好の教材となります。
【プロの結論】向いている人・おすすめできない人の判断基準
古道散策の人気が高まる一方、現場の実情を理解しないままスタートして不満を抱く歩行者も少なくありません。歴史探訪の観点から導き出した向き・不向きの条件は以下の通りです。
- 向いている人:
- 都市景観のわずかな隙間に残る石造物(庚申塔・道標・常夜灯)から歴史的背景を読み解く知的好奇心を持つ人
- 現代の地図(スマートフォンのGPS地図)と古地図を照合しながら、失われたルートを探索・推理することを楽しめる人
- 国道246号の喧騒と一本裏通りの静けさのコントラストに都市の重層性を感じられる人
- おすすめできない人:
- 中山道の妻籠宿や奈良井宿のような「当時の木造町家が完全に連続する観光地景観」のみを期待している人
- 交通量の多い舗装道路や急な跨道橋のアップダウンを歩くことをストレスに感じる人
- 道標の文字判読や歴史的解説板の読み込みに興味がなく、純粋な自然散策・森林浴だけを目的としている人
【矢倉沢往還】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:散策時に「矢倉沢往還」と「大山街道」のどちらの呼称のルート地図を使うべきですか?
A1:都心から伊勢原・大山山麓を目指す散策であれば、現在各自治体や観光協会が発行している「大山街道ウォーキングマップ」を活用するのが最も便利です。ただし、伊勢原から先、秦野や足柄・沼津方面まで全行程を完全踏破したい場合は、幕府脇往還としての線形を記載した「矢倉沢往還調査報告書」や歴史専門の古道地図を参照する必要があります。
Q2:全くの古道歩き初心者が半日で楽しめるおすすめのショートコースはどこですか?
A2:東急田園都市線の「二子新地駅」からスタートし、二子の渡し跡、溝口宿の問屋場跡や灰吹屋、宗田家住宅を巡って「武蔵溝ノ口駅(溝の口駅)」へ抜ける約2.5〜3kmのコースが最適です。高低差がほぼなく、解説板や飲食店も充実しているため、無理なく街道歩きの基本を味わえます。
Q3:矢倉沢関所跡へ公共交通機関を使ってアクセスすることは可能ですか?
A3:可能です。伊豆箱根鉄道大雄山線の「大雄山駅」から箱根登山バス(地蔵堂行き)に乗車し、「矢倉沢」バス停で下車後、徒歩約5分で関所跡の石碑と解説板に到着します。周囲は足柄峠へ続く山村地帯のため、バスの本数を事前に確認して計画を立てることを推奨します。
まとめ:古道の記憶が伝える未来への街歩き指針
現代の首都圏を支える動脈「国道246号」の直下には、家康が敷いた防衛戦略と、江戸町衆の熱狂的な大山詣りを支えた「矢倉沢往還」のDNAが確実に息づいています。高速道路や高層ビルが視界を覆う都市部であっても、一歩裏道に入れば、江戸の旅人が祈りを込めた道標や辻の地蔵が、今も変わらぬ方角を指し示しています。
舗装路の下に埋もれた400年の歴史レイヤーを意識しながら歩く古道散策は、日常の何気ない通勤路や散歩道をドラマチックな発見の場へと塗り替えてくれます。足元の路面に刻まれた先人たちの息吹を感じに、まずは身近な宿場町の痕跡から歩みを進めてみてはいかがでしょうか。 (出典: 矢 倉沢 往還(Yahoo!ニュース))